デビューから3連勝を飾り、朝日杯3歳S(GⅠ)に挑むも単勝オッズ1.3倍に推されながらハナ差の2着。その後、クラシックに駒を進めるも皐月賞(GⅠ)ではナリタタイシンにクビ差、日本ダービー(GⅠ)ではウイニングチケットに半馬身差及ばず、あと一歩のところでGⅠタイトルを獲得できなかった。
しかし、最後の一冠・菊花賞(GⅠ)ではライバルたちを置き去りにする5馬身差の勝利で春のうっぷんを晴らした。その後の有馬記念(GⅠ)では2着に敗れたが、1993年度の年度代表馬、最優秀3歳牡馬を受賞。
4歳時も天皇賞(春)(GⅠ)、宝塚記念(GⅠ)に勝利し、安定感のある走りを披露し続けた。その後挑んだ天皇賞(秋)(GⅠ)で、初めて連対を外す(5着)と競走後に屈腱炎の発症が判明。このレースを最後に引退した。注目されていた1つ年下の弟である三冠馬ナリタブライアンとの兄弟対決は実現しなかった。
ビワハヤヒデBiwa Hayahide
1990年3月10日生 牡 芦毛
父:Sharrood 母:パシフィカス
冠名+早秀
開催日 | レース名 | 開催場所 | 着順 | 騎手 | コース・距離 | タイム | 1(2)着馬(注釈) | レース映像 |
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1992年 9月13日 |
3歳新馬 | 阪神 | 1 | 岸滋彦 | 芝1600 | 1:38.3 | (テイエムシンザン) | |
1992年 10月10日 |
もみじS | 京都 | 1 | 岸滋彦 | 芝1600 | 1:34.3 | (シルクムーンライト) | |
1992年 11月7日 |
デイリー杯3歳S(GⅡ) | 京都 | 1 | 岸滋彦 | 芝1400 | 1:21.7 | (テイエムハリケーン) | |
1992年 12月13日 |
朝日杯3歳S(GⅠ) | 中山 | 2 | 岸滋彦 | 芝1600 | 1:35.5 | エルウェーウィン | |
1993年 2月14日 |
共同通信杯4歳S(GⅢ) | 東京 | 2 | 岸滋彦 | 芝1800 | 1:48.7 | マイネルリマーク | |
1993年 3月20日 |
若葉S | 中山 | 1 | 岡部幸雄 | 芝2000 | 2:00.9 | (ケントニーオー) | |
1993年 4月18日 |
皐月賞(GⅠ) | 中山 | 2 | 岡部幸雄 | 芝2000 | 2:00.3 | ナリタタイシン | |
1993年 5月30日 |
日本ダービー(GⅠ) | 東京 | 2 | 岡部幸雄 | 芝2400 | 2:25.6 | ウイニングチケット | |
1993年 9月26日 |
神戸新聞杯(GⅡ) | 阪神 | 1 | 岡部幸雄 | 芝2000 | 2:02.9 | (ネーハイシーザー) | |
1993年 11月7日 |
菊花賞(GⅠ) | 京都 | 1 | 岡部幸雄 | 芝3000 | 3:04.7 | (ステージチャンプ) | |
1993年 12月26日 |
有馬記念(GⅠ) | 中山 | 2 | 岡部幸雄 | 芝2500 | 2:31.0 | トウカイテイオー | |
1994年 2月13日 |
京都記念(GⅡ) | 阪神 | 1 | 岡部幸雄 | 芝2200 | 2:16.8 | (ルーブルアクト) | |
1994年 4月24日 |
天皇賞(春)(GⅠ) | 阪神 | 1 | 岡部幸雄 | 芝3200 | 3:22.6 | (ナリタタイシン) | |
1994年 6月12日 |
宝塚記念(GⅠ) | 阪神 | 1 | 岡部幸雄 | 芝2200 | 2:11.2 | (アイルトンシンボリ) | |
1994年 9月18日 |
オールカマー(GⅢ) | 中山 | 1 | 岡部幸雄 | 芝2200 | 2:14.5 | (ウイニングチケット) | |
1994年 10月30日 |
天皇賞(秋)(GⅠ) | 東京 | 5 | 岡部幸雄 | 芝2000 | 1:59.1 | ネーハイシーザー |