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アラビア半島の大国サウジアラビアは、その名の通り純血アラブ種のルーツのひとつであり、ひいては現在のサラブレッドにもつながる地でもあることから、馬文化が非常に大切にされてきた土地である。もちろん、その一つに競馬も含まれており、近年の急激な発展から、2022年よりインターナショナルカタロギングスタンダーズ(国際セリ名簿基準書)で定めるパートU国となった。
サウジアラビアにおける公式の競馬は、サウジアラビアジョッキークラブが主催となって開催されている。競馬場は、首都リヤド郊外にあるキングアブドゥルアジーズ競馬場と、イスラム教最大の聖地メッカから約100キロメートル東の都市ターイフにあるキングハーリド競馬場の2つ。シーズンは毎年6月から翌年3月が1シーズンで、気候に合わせて6月から10月前半までをキングハーリド競馬場で、10月後半から3月までをキングアブドゥルアジーズ競馬場で開催している。
サウジアラビアにおける近代式競馬は、1965年に現在のサウジアラビアジョッキークラブの前身であるリヤド馬事クラブの設立に始まる。その以前は、1920年代の建国当初より、当時のアブドゥルアジーズ国王が皇子たちとともにプライベートな競馬を行っていた。しかし、統括機関もなく、スポーツとして国際ルールにも準じていないものであったため、アブドゥルアジーズ国王の没後、王族サウード家のサルマン皇子(当時)とアブドゥラ皇子の尽力で、リヤド馬事クラブが設立された。
公式な最初の競馬場は、かつてアブドゥルアジーズ国王が生前、競馬を楽しんでいた地である、リヤドのマラッツ地区にキングアブドゥルアジーズ競馬場として建設された。その10年後にはターイフにも競馬場を開設。マラッツの競馬場は、王室が積極的にサポートすることで、国際的な催しも開催されるなどしたが、リヤド市住宅地開発の発展と、将来的な大規模な拡張も視野に入れ、2003年に現在のキングアブドゥルアジーズ競馬場の開設へと至った。なお、マラッツの競馬場跡はキングアブドゥラ公園として再整備されたが、現在でもコースの形状のまま道路が残っていることが確認できる。
サウジアラビアで行われているレースは全て平地競走で、障害や速歩競走は行われていない。また、サラブレッドだけでなく、純血アラブ種による競馬も盛んだ。サラブレッド、純血アラブともに、内国産限定、外国産馬限定、およびその混合のレースが行われている。このことからも判るように、実はこの国では馬産も行われており、種牡馬は約300頭、繁殖牝馬は5000頭以上、2019年の生産頭数は約1800頭と、アジア・中東圏では、日本、トルコに次ぐ3番目となっており、インド、韓国をしのぐ規模を持つ。繋養種牡馬の中には2020年のペガサスワールドカップの勝ち馬ムーチョグストなどもおり、今後は量だけでなく質も上がってくることが期待される。
また、外国産馬については、とりわけアメリカからの移籍も積極的に行われている。サンタアニタHなどアメリカのG1を3勝したロンザグリークが2014年に移籍し、サウジアラビア調教馬としてドバイワールドカップに駒を進めてきたときは、驚きをもって迎えられた。
サウジアラビアの競馬にとって、最も大きな転換点は、やはり2020年に創設されたサウジカップをメインとした2日間のカーニバル開催だろう。それまで、鎖国状態だったサウジアラビアが、2019年9月より観光ビザを解禁したことを受ける形で創設。メインのサウジカップが賞金総額2000万アメリカドル、1着賞金1000万アメリカドル、アンダーカードのレースもいずれも賞金総額150万から250万アメリカドルの賞金という超高額賞金、しかも完全招待制という破格のレース群は、高額賞金レースが乱立していた中でありながら、固定化されつつあった世界の競馬のカレンダーに、大きな衝撃とともに存在感を植え付けることに成功した。また、回を重ねるごとに、開催されるキングアブドゥルアジーズ競馬場も施設をアップデートさせており、サウジアラビアの持つ旧態依然というイメージをすっかり払拭させている。さらに、サウジアラビアの変化を象徴的に表すものとして、2023年3月に生え抜きの女性騎手アマル・ビン・ファイサル騎手がデビューした。
2021年のパートⅡ国昇格に併せて、同じタイミングでやはりパートⅡ国に昇格したバーレーン、そしてパートⅠ国であるUAEの三か国で、それぞれの競馬をより強固にするための強力・連携体制を構築している。
文:土屋 真光
(2024年2月現在)