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1977年5月23日生まれ。オーストラリア出身。1993年に父アランの厩舎所属の見習い騎手としてデビュー。2000年にオーストラレシアンオークスをグランエシェゾーで制してG1初制覇を果たした。早くから世界に目を向け、20代にはイギリス、香港、ドバイを拠点に騎乗。サッカーの元イングランド代表であるミック・シャノン調教師の主戦を務めた00年には、G1デューハーストSとG1サラマンドル賞をシャノン厩舎のトゥブーグで優勝。世界にその名を轟かせた。その後、05-06年シーズンにオーストラリアへ戻ると、デヴィッド・ヘイズ厩舎の主戦騎手として06年のG1ゴールデンスリッパーをミスフィンランド、同年のG1コックスプレートをフィールズオブオマーで制すなど大活躍し、05-06年から08-09年まで4シーズン連続でヴィクトリア州のメトロポリタン(主要競馬場)におけるリーディングタイトルを獲得。フリーで活躍する今でもその勝負強さは健在で、15-16年シーズンには7季ぶり5度目となるチャンピオンに輝いている。これまでまだG1メルボルンカップこそ手中に収めていないが、G1コーフィールドカップは11年サザンスピード、12年ドゥーナデンで連覇し、コックスプレートも前記フィールズオブオマーのほかに11年にピンカーピンカーで制している。日本での騎乗経験も豊富で、ジャガーメイルで制した10年の天皇賞(春)(GI)、グランプリボスで優勝した11年のNHKマイルカップ(GI)、そしてアルフレードで勝った同年朝日杯フューチュリティS(GI)と、GI・3勝を挙げている。
1972年6月22日生まれ。オーストラリア出身。故郷の西オーストラリア州で1988年にデビュー。その後、拠点をヴィクトリア州に移し、90年にサブマリナーでG1ショウデイカップ(現在のサールパートクラークS)を制してG1初制覇を果たした。名調教師のリー・フリードマンに師事し、90-91年シーズンと92-93年には見習い騎手の身ながら、ヴィクトリア州のメトロポリタン(主要競馬場)におけるリーディングタイトルを獲得した。2012年には禁止されている馬券購入が明るみに出て、10か月の騎乗停止処分(8か月の騎手免許停止と2カ月間のレース騎乗停止。騎手免許停止期間中は調教にも乗れない)を受けたが、復帰後いきなり13-14年に首位に立つと、翌14-15年シーズンもタイトルを奪取。これまで計10度もチャンピオンに輝いており、ヴィクトリア州における最多記録にあと1と迫っている。これまでに積み重ねたG1勝利は100以上。そのなかでも広く知られているのは、レースの数日前に兄のジェイソンが落馬事故で命を落とす中、兄の騎乗ズボンをはいて勝利した2002年のメルボルンカップ(優勝馬メディアパズル)で、のちに『The Cup』というタイトルで映画化されたほどだ。メルボルンカップは、ほかに95年ドリーマス、13年フィオレンテで優勝。コーフィールドカップは4回(92年マンネリズム、94年パリスレーン、95年ドリーマス、99年スカイハイツ)、コックスプレートは2回(97年デインリッパー、01年ノーザリー)、ゴールデンスリッパーも1回(07年フォレンシクス)優勝しており、オーストラリアの“グランドスラム”(4大レース=メルボルンカップ、コーフィールドカップ、コックスプレート、ゴールデンスリッパー)完全制覇を達成済み。08年にはオーストラリア競馬の殿堂入りも果たしている。
1992年1月6日生まれ。ニュージーランド出身。2007年8月に母国で初勝利を挙げると、翌08年4月にはスペシャルミッションでニュージーランドブラッドストックブリーダーズSを制して早くもG1初制覇。2シーズン目となった08-09年シーズンには、初のクラシック制覇となるG1ニュージーランドオークス(優勝馬はジャングルポケット産駒のジャングルロケット)を含む125勝を挙げて、17歳の若さでニュージーランドのチャンピオンジョッキーの座に立つと、10-11年にはリサ・クロップ騎手が保持していたニュージーランドのシーズン最多勝記録を10勝も更新する207勝をマークして、2度目のタイトルを獲得した。その後は軸足を隣国オーストラリアに移し、13年4月にはイッツアダンディールでG1オーストラリアンダービーに優勝。続く13-14年シーズンには、イッツアダンディールでG1クイーンエリザベスS、モスファンでゴールデンスリッパー、ライジングロマンスでG1オーストラリアンオークスを制すなどビッグレースで大活躍を見せるとともに、ニューサウスウェールズ州のメトロポリタン(主要競馬場)におけるリーディングタイトルを獲得した。2015年にはモハメド殿下が率いるゴドルフィンのオーストラリアにおける主戦騎手に抜てきされ、ゴドルフィンのハートネルでG1ザBMW(2着トゥザワールド)、コントリビューターでG1ランヴェットS(2着トーセンスターダム)に優勝するなど期待に応えたほか、G1ジョージライダーSでも日本のリアルインパクトを勝利に導くなど活躍。15-16年には再びリーディングの座に就いている。
1980年7月14日生まれ。オーストラリア出身。ニューサウスウェールズ州のメンドーランという小さな町で育ち、少年時代にはポロとラクロスを一緒にして作られたポロクロスという競技をやっていた。シドニーの名門学校であるスコッツカレッジの卒業生でもある。初勝利は1996年。99-2000年シーズンにはニューサウスウェールズ州の見習い騎手チャンピオンに選ばれた。その後02年には違法薬物の使用で処分を受け、半年間競馬に乗れない苦しい時期もあったが、その経験を糧にして復活。04年5月にはディファイアでドゥームベンCを制してG1初制覇を果たした。07年には3か月間ほどイギリスでも騎乗し、ミック・シャノン調教師(サッカーの元イングランド代表)のハッタフォートでG2スーパーラティヴSに優勝。帰国後の08-09年シーズンにはダフォディルでオーストラリアンオークスを制するなど活躍し、ニューサウスウェールズ州のメトロポリタン(主要競馬場)におけるリーディングタイトルを初めて獲得。このシーズンはヴィクトリア州でもサマンサミスでG1クラウンオークスを勝っており、オーストラリアの2大オークスを制した。以降はトップジョッキーとして君臨し、11-12年、14-15年にもリーディングを奪取。15-16年は2位に終わったものの、女傑ウィンクスとのコンビでコックスプレート、G1ドンカスターマイルなどを制したほか、ソフィアローザで勝ったオーストラリアンオークス、プリファーメントで制したG1オーストラリアンカップなど全豪で10のG1勝ちを記録。香港でもワーザーでG1クイーンエリザベス2世カップと香港ダービー、日本でもハートレーでホープフルS(GII)を優勝するなど、活躍の場を世界へと大きく広げている。
文:秋山響(TPC)
(2016年10月現在)