現代の世界中のサラブレッドは父系の血統をたどっていくと、すべて3頭の馬にさかのぼることができます。この3頭の馬をサラブレッドの3大始祖(3大父祖)といいます。馬名はダーレーアラビアン(推定1700年生)、ゴドルフィンアラビアン(またはゴドルフィンバルブともいう、推定1724年生)、バイアリーターク(推定1680年生)です。
ダーレーアラビアン
ゴドルフィンアラビアン
バイアリーターク
ダーレーアラビアンは推定1700年の生まれで、オスマン=トルコのアレッポ(現在のシリア北西部の都市)に駐在していたイギリス領事、トーマス・ダーレーがアラブの族長から買い取って、本国に送ったといわれています。この父系はダーレーアラビアンから数えて5代目、エクリプスによって活気づきました。このためエクリプス系とも呼ばれ、現在、90パーセント以上もの占有率を誇る大父系に発展しています。
エクリプスは1764年生まれ。6、7歳時に出走して単走を含み26戦全勝の成績を残しました。「エクリプス1着、他はどこにも見えない」の話はあまりにも有名ですが、全レースにおいてこのような勝ちっぶりを示したのです。気性が極めて激しく、1度装鞍すれば、数日間そのままにしておかざるをえなかったといいます。
もっとも、エクリプスの直系子孫がすぐに勢力を伸ばしたわけでなく、19世紀のはじめまではバイアリーターク系と互角でした。勢力を広げるのはその後のことで、1881年に誕生したセントサイモンがその大きな原動力となりました。
以後、差を広げる一方となりましたが、ファラリス系、ブランドフォード系、ゲインズボロー系、ハイペリオン系、プリンスローズ系、ネアルコ系、ナスルーラ系、ノーザンダンサー系、リボー系、ロイヤルチャージャー系、ネイティヴダンサー系、ミスタープロスペクター系などが有名です。
このうち、とくに20世紀なかばに登場したネアルコは、セントサイモン以上の規模で血統革命を巻きおこし、ダーレーアラビアン系の今日の圧倒的優位を不動のものにしました。近年、ネアルコ系から派生したナスルーラ系、ノーザンダンサー系が大繁栄しましたが、日本競馬史上にさん然と輝く足跡を残したサンデーサイレンスや、これと覇を競ったブライアンズタイム、トニービンも、同じネアルコの流れをくんでいます。
ゴドルフィンアラビアンは推定1724年生まれで、北アフリカのバーバリー(エジプト以外の北アフリカ回教地域)が生地といわれています。そこがアラブではなく、バルブだというので、ゴドルフィンバルブと記述している本もあります。数奇な運命をたどった馬で、後世に伝わったエピソードには事欠きません。モロッコ皇帝からフランスのルイ14世に献上されながら、その後、なぜかうらぶれてパリ市中で散水車をひく荷役をやっていたともいわれています。
現在、3大父系ではダーレーアラビアン系(エクリプス系)が圧倒的な優勢を誇っていますが、発展の足がかりをつくったエクリプスの母の父が、このゴドルフィンアラビアンなのです。エクリプスの母の父に入って手助けしたがために、自身の父系発展が犠牲を余儀なくされたともいえるでしょう。
この父系は父祖のゴドルフィンアラビアンから数えて3代目、1748年に生まれたマッチェムによって大きく発展しました。そのためマッチェム系と呼ばれますが、マッチェム自身はエクリプスのような偉大な競走馬でなく、種牡馬として期待されていませんでした。しかし、産駒は優れた競走馬や種牡馬が相次ぎ、とくにコンダクターがトランペッターを世に出して、現在までの流れをつくりました。
ヨーロッパではつねに傍流に甘んじてきたマッチェム系ですが、スペンドスリフトがアメリカで父系を大きく発展させ、現在にいたっています。スペンドスリフトはアメリカでリーディングサイヤーとなり、仔のヘイスティング(ベルモントS)も、同じくリーディングサイヤーとなりました。その仔のフェアプレイから出たのが、アメリカの歴史的名馬マンノウォーです。
持込馬の月友が大成功したことで、日本でもマンノウォーの名は古くから知られていました。月友は日本ダービー馬を3頭(オートキツ、カイソウ、ミハルオー)を出したほか、ミツマサ(オークス)、ツキカワ(桜花賞)らを出し、日本の生産界に大きな足跡を残しました。現在、その父系は途絶えていますが、母系に入ってもなお影響力を残しています。成功種牡馬のサクラユタカオー(天皇賞・秋)を出して、名牝系の祖となっているスターロッチ(オークス、有馬記念)の母も、月友の産駒です。
フランスでもウォーレリックを通してこの系統は栄えましたが、それらの子孫が日本にも入り、ヴェンチア、ミンシオ、シルバーシャークらが大成功しました。
日本ではクライムカイザー(日本ダービー)以降、マンノウォー系からタイトルホースが途絶えていましたが、2004年、サニングデールが久々に高松宮記念を勝ちました。父のウォーニングは欧州の名マイラーで、インリアリティ、ノウンファクトの流れをくんでいます。種牡馬としても海外で高い実績を残し、それから日本に輸入されたものです。
バイアリータークは推定1680年の生まれで、イギリスがハンガリーでトルコと戦争したとき、ロバート・バイアリー大尉が捕獲し、この馬名がつけられました。その後、大尉はこの馬で武勲を立てたといいます。もっとも、種牡馬としては優秀でなく、すぐに消えてしまいそうな父系でした。しかし、バイアリータークから数えて5代目、ヘロドの活躍によって消滅を免れたのです。ヘロドはエクリプスと同じカンバーランド公の生産馬で、1758年に生まれ、22歳まで生きました。前肢が弱く、ほかにも故障があって特記すべき競走成績はありません。
しかし種牡馬となったヘロドは、一時期、エクリプスと並び称されるほどの立派な成績をあげました。
ヘロドによって発展したバイアリーターク系は、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いでした。ところが、これだけの繁栄がまるで幻であったかのように、19世紀後半になると急速に衰退していきます。アメリカが誇るレキシントンの系統も、後継が育たずあっさりと消滅、ヨーロッパも同様で一時は絶滅の危機にすら落ち込むことになります。ヨーロッパではリュティエの系統、ロレンツァチオの系統が残っていますが、大きな復活の兆しはありません。ザテトラーク系にいたっては、ほぼ消滅状態となっています。
日本に輸入されたパーソロンは、三冠馬シンボリルドルフ、天皇賞馬メジロアサマによって受け継がれ、トウカイテイオー(日本ダービー、皐月賞)、メジロマックイーン(菊花賞、天皇賞・春)という2頭の内国産スターホースを生みました。トウカイテイオーは種牡馬となってトウカイポイント(マイルチャンピオンシップ)を輩出しました。
またダンディルートの血はビゼンニシキによって受け継がれ、名マイラーのダイタクヘリオス(マイルチャンピオンシップ2回)を出しています。このダイタクヘリオスも種牡馬となって成功し、ダイタクヤマト(スプリンターズS)を出しています。マイスワローの血もラッキーキャストを通して、海外遠征で重賞制覇を成し遂げたフジヤマケンザンを出しました。