今週の注目レース

天皇陛下御即位慶祝 天皇賞(秋)(GⅠ)

東京競馬場 2000メートル(芝)定量 3歳以上オープン

2018年 レイデオロ

2018年 レイデオロ

鋭く長い末脚で、レイデオロが差し切り勝ち!

2017年 キタサンブラック

2017年 キタサンブラック

不良馬場を力で克服し、キタサンブラックが春秋連覇を達成!

2016年 モーリス

2016年 モーリス

パワフルに突き抜けたモーリスが5つ目のGⅠタイトル獲得!

レース画像をクリックするとその年の結果および映像のページに遷移します。
なお、印刷時はレース画像は表示されません。

歴史

天皇賞(秋)は、東京競馬場・芝2000メートルを舞台に古馬最高の栄誉をかけて争われる、長い歴史と伝統を誇る競走である。

■天皇賞の前身
1905年(明治38年)の5月6日に横浜の日本レースクラブが、明治天皇から「菊花御紋付銀製花盛器」を下賜されたことにより創設した「エンペラーズカップ」が天皇賞の前身。翌1906年(明治39年)には東京競馬倶楽部にも御賞典が下賜され、その後、阪神、福島、札幌、函館、小倉の計7つの競馬倶楽部で「帝室御賞典競走」として行われていた。

■第1回
1936年(昭和11年)に「日本競馬会」が設立されたのち、翌1937年(昭和12年)に各競馬倶楽部が「日本競馬会」に統合されたのを機に、「帝室御賞典競走」は春が阪神、秋が東京と、東西で年2回開催されることとなり、同年の秋季に東京競馬場・芝2600メートルで行われたレースが第1回の天皇賞とみなされている。 その後、第2回の1938年(昭和13年)春は阪神競馬場・芝2700メートルで、3歳以上の馬によって争われ、第3回の1938年秋からは、「4歳以上、芝3200メートル」の競走条件となり、能力検定競走として京都競馬場において非公開で開催された1944年(昭和19年)春まで「帝室御賞典競走」の名称で行われていた。

■戦争による中断と再開
1944年(昭和19年)秋季から、第二次世界大戦の影響により中断されたが、戦後の1947年(昭和22年)春に「平和賞」の名前で復活したのち、同年秋から現在の「天皇賞」に改称され、春は京都競馬場、秋は東京競馬場で開催されることになった。

■競走条件の変遷
1981年(昭和56年)春からは「勝ち抜き制」が廃止されて、過去の優勝馬にも出走権が与えられた。これまで、タマモクロス(1988年春・秋)、スーパークリーク(1989年秋、1990年春)、メジロマックイーン(1991年・1992年春)、ライスシャワー(1993年・1995年春)、スペシャルウィーク(1999年春・秋)、テイエムオペラオー(2000年春・秋、2001年春)、シンボリクリスエス(2002年・2003年秋)、メイショウサムソン(2007年春・秋)、フェノーメノ(2013年・2014年春)、キタサンブラック(2016年・2017年春・秋)の10頭が2回以上天皇賞に優勝している。

長年、「3200メートル・4歳以上」という条件で行われていた天皇賞であるが、1984年(昭和59年)の競馬番組の変革により、秋は距離を芝2000メートルに短縮し、さらに1987年(昭和62年)から秋の天皇賞には3歳馬が出走できるように条件が変更された。これにより、春は4歳以上のステイヤー日本一を決めるレース、秋は3歳以上の中距離ナンバー1決定戦と、その性格が明確に分けられた。

コースの特徴

東京・芝2000メートル

1コーナー奥にあるスタート地点から2コーナーに向かっていくレイアウト。2コーナーまでの距離が短いため、外めを通らされると距離のロスが大きい。向正面半ばに上り坂があり、その後3コーナーにかけて下り。直線は525.9メートル。直線に向いてすぐ約160メートルの上りがあり、ゴールまでの残り約300メートルはほぼ平坦。坂を上った後に、ゴール前でもう一度末脚を伸ばすことが求められるタフなコース。レース前半を器用に立ち回ることができて、直線でより速い末脚を発揮する能力、タフなコースを押し切れるだけの体力を持つ馬が好走しやすい。

(亀谷 敬正)

ご注意 当コーナーの情報は、特別登録の情報に基づき制作されております(データ分析は特別登録発表前に執筆されたものです)。出走回避・出走取消などによりレースに出走しない可能性がございます。また、当コンテンツの内容においては、JRAが特定の馬の応援や推奨などを行うものではありません。

ページトップへ戻る
表示モード: