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有力騎手、調教師、馬主、種牡馬紹介

騎手(有力騎手、調教師、馬主、種牡馬紹介)

  • ジム・クローリーJim Crowley

    1978年7月14日生まれ。イギリス出身。アスコット競馬場近くでポイントトゥポイント(アマチュアによる障害競馬)の調教師をしていた両親に育てられる。まずは障害競馬の騎手として頭角を現し、2006年2月にウンガロで制したサンダウンハンデキャップハードル(障害のG3・イギリス)を含む300ほどの勝ち星を挙げ、イギリス障害を代表するレースであるグランドナショナル大障害(障害のG3)にも2001年に出場した(落馬)ことがある。
    平地競馬へと軸足を移したのは2006年のこと。当初はアマンダ・ペレット調教師(クローリーの妻ルシンダとは姉妹)のバックアップを受け、その後は2014年の夏までラルフ・ベケット厩舎の主戦騎手として活躍。2009年にフランスのジャンプラ賞をロードシャナキルで制してG1初制覇を果たすと、2011年にはプロヒビットでキングズスタンドSを勝って地元イギリスでもG1タイトルを手に入れた。
    その後、2012年7位、2013年9位、2015年7位とイギリスの平地騎手ランキングで上位に顔を出すようになり、ついに2016年には148勝を挙げて、初のチャンピオンタイトルを獲得。夏からの優勝ペースは驚異的で、9月に挙げた46勝は1884年6月にフレッド・アーチャー騎手、1949年8月にゴードン・リチャーズ騎手が記録した45勝を上回るイギリスの月間新記録だった。
    今年からはポール・ハナガン騎手に替ってドバイのハムダン殿下〔英二冠馬ナシュワンなどの馬主。近年ではタグルーダが英オークスとキングジョージ6世&クイーンエリザベスS(ともにG1・イギリス)を制覇〕の主戦騎手を務めており、同じドバイのモハメド殿下が率いるゴドルフィンからの騎乗依頼も増加。すでにプロミシングランでアルラシディヤ、ベリースペシャルでケープヴェルディ(ともにG2・UAE)に優勝している。

  • ウィリアム・ビュイックWilliam Buick

    1988年7月22日生まれ。ノルウェー出身。父はスカンジナビアで8度もチャンピオンジョッキーに輝いた名手で、母も乗馬の選手だった。
    イギリスのアンドルー・ボールディング厩舎の見習い騎手となり、2006年にイギリスで初勝利。2008年にはボールディング厩舎のブチェラッティで制したセントサイモンS(G3)を含む50勝を挙げて、デイヴィッド・プロバート騎手とともにイギリスの見習い騎手チャンピオンに輝くと、翌2009年にはカナダのE.P.テイラーSをラハリーブで制してG1初制覇を果たした。
    2010年にはイギリスのジョン・ゴスデン厩舎の主戦騎手に抜擢。同年3月のドバイシーマクラシック(G1・UAE)をダーレミで制して好スタートを切ると、アーリントンミリオン(G1・アメリカ、2010年)をドビュッシー、キングジョージ6世&クイーンエリザベスS(G1・イギリス、2011年)をナサニエル、英セントレジャー(G1・イギリス)をアークティックコスモス(2010年)とマスクトマーヴェル(2011年)、愛オークス(G1・アイルランド、2012年)をグレートヘヴンズで優勝するなどビッグレースを次々に制した。
    その後、2013年頃からはドバイのモハメド殿下が率いるゴドルフィンとの繋がりも強くなり、2013年3月にはジェベルハッタ(G1・UAE)をゴドルフィンのサッジャーで優勝。2014年11月にはシルヴェスター・デソウサ騎手に替わり、ジェイムズ・ドイル騎手とともにゴドルフィンのUAEとイギリスにおける主戦騎手の座に就くと、2015年3月にはモハメド殿下の子息であるハムダン殿下のプリンスビショップでドバイワールドカップ(G1・UAE)を制覇した。
    そのほかの主要レースでは、2015年の愛ダービーをジャックホブス、2013年の愛チャンピオンS(ともにG1・アイルランド)をザフューグで優勝。日本でもリアルインパクトで制した2014年の阪神カップ(GII)を含む4つの重賞を制している。

  • ランフランコ・デットーリLanfranco Dettori

    1970年12月15日生まれ。イタリア出身。父はイタリアで13度もチャンピオンジョッキーに輝き、イギリスでも1975年と1976年の英2000ギニー(G1・イギリス)をボルコンスキーとウォローで連覇した名手ジャンフランコ。母はサーカスの団員。14歳だった1985年に単身イギリスに渡り、同じイタリア出身のルカ・クマーニ調教師に師事した。
    翌1986年に母国イタリアで初勝利を挙げ、1987年にはイギリスでも初勝利をマーク。1989年にイギリスの見習い騎手チャンピオンに輝くと、翌1990年には141勝を挙げて、英ダービー(イギリス)9勝のレスター・ピゴット騎手以来となる10代でのイギリス年間100勝を達成。同年にはクイーンエリザベス2世S(イギリス)を制してG1初制覇を果たした。
    1992、1993年には中山競馬場で行われたヤングジョッキーズワールドチャンピオンシップで来日し、2度とも優勝。1994年にドバイのモハメド殿下が率いるゴドルフィンの主戦騎手に抜擢されると、そこから大きく飛躍し、ドバイミレニアムで制した2000年のドバイワールドカップ(UAE)、サキーで勝った2001年の凱旋門賞(フランス)など100を超えるG1レースをゴドルフィン、あるいはモハメド殿下の所有馬で制したほか、1996年9月28日には英アスコット競馬場で1日全7レースを全て勝つというイギリス史上初となる偉業を達成。英チャンピオンジョッキーにも1994、1995、2004年と3度も輝いた。また、2000年6月には軽飛行機の墜落事故にあったが、九死に一生を得ている。
    その後、2012年10月に18年にもわたったゴドルフィンとの専属契約の解消が発表されると、その2か月後には同年9月にフランスで騎乗した際に行われた尿検査で禁止薬物の陽性反応が出たことを受けて、翌2013年5月まで6か月間に及ぶ騎乗停止処分を受けるなど低迷した。しかし、2013年7月にカタールのジョアン殿下(アルシャカブレーシング)と主戦契約を結ぶと、その年の9月にはトレヴでヴェルメイユ賞(フランス)を制して、復帰後初となるG1制覇を記録。2015年には古くからデットーリ騎手をよく知り、デットーリ騎手も父のように慕うジョン・ゴスデン調教師が管理するゴールデンホーンで英ダービー(G1・イギリス)や凱旋門賞に優勝して完全復活をアピール。2016年8月12日にはイギリス平地競馬史上6人目となる通算3000勝を記録した。
    ドバイワールドカップ開催における19勝は2位のリチャード・ヒルズ元騎手に11勝差をつける断然のトップで、内6勝はG1でのもの。日本ではシングスピール、ファルブラヴ、アルカセットでジャパンカップ(GI)に3勝を挙げ、ジャパンカップダート(GI、現チャンピオンズC)もイーグルカフェで優勝している。

  • 備考1:ドバイワールドカップデー諸競走など、アラブ首長国連邦(UAE)における大レースにおいて活躍が顕著なジョッキーを有力騎手として紹介した
  • 備考2:文中敬称略

文:秋山響(TPC)

(2017年3月現在)

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