海外競馬発売

有力騎手、調教師、馬主、種牡馬紹介

調教師(有力騎手、調教師、馬主、種牡馬紹介)

  • クロード・マゴーイClaude R. McGaughey III

    1951年米国ケンタッキー州出身。ニューヨーク州ベルモントパーク競馬場とサラトガ競馬場の厩舎地区ゲートを通過すると、正面に多くの花が植えられた整然とした厩舎が視界に入る。それらが競馬界のプレイヤー達から親しみを込めて「シュグ」という綽名で呼ばれる、マギーの拠点である。世界有数の馬産地であるケンタッキー州で生まれ育ち、牧場や厩舎での経験を積み重ねて、開業したのは1979年。転機は1985年に米国競馬界の重鎮、オグデン・フィプスの所有馬を管理するようになってからだ。この両者とフィプス家の繁殖牝馬繋養地であるクレイボーンファームのコラボレーションは多くの駿馬を生み出しており、その最高傑作はサンデーサイレンスの好敵手であったイージーゴアであろう。米国三冠競走を大目標とする3者は2000m前後のスペシャリストの創造という共通のテーマを持ち、その代表馬はダートのみならず、ポイントオプエントリーやルアーといった芝の有力馬をも輩出している。通算1929勝、今季44勝でブリーダーズカップには過去9回優勝している。

  • ジェリー・ホーレンドルファーJerry Hollendorfer

    1946年米国オハイオ州出身。生まれ育ったアクロンは同州5番目の地方都市で、かつてはタイヤ産業の中心地だったが競馬界とは馴染みが薄い地域で、幼少時のホーレンドルファーと馬の関わりは、時々ポニーに乗ることぐらいであったという。しかし、大学卒業後カリフォルニアで社会人となると競馬に興味を持ち、やがてパートタイム厩務員として働き始めることとなった。そしてジェリー・ダットン厩舎で正式に厩務員として採用されると、その後、副調教師に昇格し、1979年には調教師免許を取得した。開業後6年間は成績がパッとせず、苦しい厩舎経営が続いたが、その後、年間勝ち鞍が格段に増えていった。寡黙で実直な彼にその秘密を訊いても、明確な返答はない。ただ「各馬に合うレースを見つける」「馬の成長を待つ」という2つのフレーズを好んで使う。G1初優勝は1988年のハリウッドフューチュリティ。その時の勝ち馬キンググローリアスは引退後、日本へ輸出されたこともあって、ホーレンドルファーはとても親日的である。せりにもよく足を運び、リーズナブルな価格の若駒を見つけ、自らも出資してパートナーシップを組んで出走させ成功している(米国では調教師が競走馬を所有することが認められている)。厩務員だったジャネット夫人も厩舎経営に関わり、これが同厩舎の躍進の秘密のひとつであることは米国競馬人なら誰でも知っている。1987年から昨年まで全米トップテンに入り続け、現在もその記録更新に挑んでいる。通算7165勝、今季151勝。

  • トッド・プレッチャーTodd Pletcher

    1967年米国テキサス州出身。調教師の父の厩舎でホットウォーカー(曳運動専門のパートタイム厩務員)として働き始め、地元の大学に通いながら、夏季休暇を利用して西部州の名調教師ウェイン・ルーカスやチャーリー・ウィッティンガムの下で厩舎管理を学ぶ。そして大学卒業後にニューヨークへ移動。同州にも拠点を構えていたルーカス厩舎の副調教師として1995年までキャリアを積み、同年開業を果たす。2004年にアシャドがケンタッキーオークスに勝ち、さらに同馬とスパイツタウンがブリーダーズカップに優勝してから、厩舎規模は拡大。現在約200頭の現役馬を数州に分け調教している。父ジェイクは調教師引退後にフロリダ州で育成牧場を開き、息子の関係馬の馴致・育成を行い後方支援をしている。通算4138勝、今季210勝でブリーダーズカップには過去9回優勝。三冠競走に関しては2007年のベルモントSをラクズトゥリッチズで初優勝。「プレッチャーはダービーに勝てない」と囁かれもしたが、2010年にスーパーセイヴァーで優勝し、同馬は種牡馬としても現在活躍している。

(文:吉田直哉)

(文中敬称略)

(2016年10月8日現在)

ページトップへ戻る
表示モード: