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加賀の秘策を封じた大胆不敵なコース取り
昭和40年有馬記念 シンザン
【シンザンのレースは名勝負の宝庫】
シンザンは戦後最初の三冠馬だ。競馬ファンならその名を知らないものはないと思うが、リアルタイムでその活躍を知るファンはすでに少数派になりつつある。しかし、名勝負、名レースを特集すれば、シンザンの勝ったレースは必ずと言っていいほど上位にランクインする。これはなぜだろう。
シンザンは武田文吾厩舎所属の関西馬だが、39年の三冠レース、翌40年の秋の天皇賞、有馬記念という同馬の五冠制覇を、関東の厩舎人も指をくわえて眺めていたわけではない。ウメノチカラの伊藤竹男、カネケヤキの野平祐二、そしてミハルカスの加賀武見など関東の名手たちが“打倒シンザン”を果たそうと技術の限りを尽くして戦いを挑んだが、シンザンはその切っ先を際どく交わして勝利を手に入れている。そんな名手と名馬の真剣勝負を味わえるのがシンザンのレースだった。シンザンの五冠の中でも、その楽しみを最も堪能できるのが現役最終戦となった有馬記念だろう。
【闘将・加賀武見の執念】
有馬記念を後世に残る名勝負として演出したのは、現調教師の加賀武見だった。“闘将”のニックネームでファンから愛された彼は、相手が強ければ強いほどその闘志に火が点く。ましてシンザンは関西馬。天皇賞と有馬記念の2つのビッグタイトルを狙い東上したシンザンに、加賀が燃えないはずがない。ミハルカスを駆って盾前哨戦の目黒記念は後方から末脚を生かすレース、天皇賞では大逃げをうってシンザンを撹乱する手に出たが、やはりシンザンは強い。4・3着に敗れたミハルカスに対し、シンザンはともに半馬身の僅差ながらもしっかりと勝利をものする。しかし、加賀は“打倒シンザン”を諦めない。ラストチャンスの有馬記念では、取って置きの秘策を用意していたのだ。
【加賀の秘策でシンザン絶体絶命のピンチ】
有馬記念当日の中山競馬場。芝はやや重のコンディションだが、馬場の内目はかなり悪い。先手を取った加賀・ミハルカスは大逃げをうちながら勝負所で後続を引き付け、初コンビの松本善登を背にしたシンザンは、4コーナー手前で外からミハルカスを射程圏に入れる。ここで、加賀は内目の馬場の悪い部分を避けミハルカスを大きく外に持ち出すのだが、その膨らみ方が尋常ではない。直後にシンザンが接近しているのを確認したうえでの大外へのコース取り。実はこれこそが加賀の練りに練った秘策、自身が大きく外に持ち出すことで、シンザンに荒れた内を通らそうという作戦だったのだ。
【ファンの視界から消えたシンザン】
加賀の術中にはまったかに見えたシンザンだが、手綱を取る松本の大胆さは加賀の想像を超えていた。外ラチ一杯に進路を取ったミハルカスの、さらに外に松本はシンザンを持ち出したのだ。テレビカメラもスタンドのファンも、ミハルカスの姿は見えるが、その外にいるはずのシンザンの姿がまったく見えない。それは一瞬の出来事ではあったが、“シンザンが消えた”衝撃はファンの脳裏にはっきりと刻み込まれた。闘将・加賀の執念と松本・シンザンの大胆不敵なレース振り。直線入口の攻防をとくとご堪能いただきたい。
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S40有馬記念
動画の掲載は、2004年
をもって終了しました。 |

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