父のサクラショウリは気性の激しい馬だった。馬房で大暴れし、馬蹄形の穴をあけることもしょっちゅうだった。
 優秀な馬、一流の血統ほど、気性の激しさを持っているもので、それがレースにいっての負けん気、闘争心を生み出している。サクラショウリがダービー馬に輝いたのも、その激しい気性の賜物だったろう。
 しかし、激しい気性はプラス、マイナスが紙一重のところがあって、気の悪さを生むことも多い。
 種牡馬となったサクラショウリは、自身の持っていた激しさを、産駒にストレートに伝えた。同時に、自身の持っていた優れた資質も伝えたはずだった。
 ところが、どうしたことか産駒には、気性の激しさがマイナスに働くばかりだった。みな気の悪さをさらけ出し、せっかくの資質を台無しにしていった。
「サクラショウリの仔はダメだ」
 そんな評価が定まりかけたとき、突如として現れたのがサクラスターオーだ。気性が災いして伸び悩むどころか、デビュー4戦目の弥生賞で、早くも初重賞。サクラショウリらしさを初めて見せた産駒だった。
 事実、皐月賞は直線、馬群を割って抜け出す勝負根性。2着に2馬身半の差をつける圧勝だった。
 不運にも脚部不安でダービーは棒に振ったが、約7か月の休養明けで臨んだ菊花賞を、またもや勝利。
 3000メートルの菊花賞を、長期休養からぶっつけ本番で出て快勝するなど、当時の常識では考えられないことだった。
 だが、続く有馬記念で悲劇が襲う。左前繋靭帯断裂、第1指関節脱臼。本来なら、すぐに安楽死の措置が取られるほどの重度の故障だった。それでも懸命の治療が施されたが、ついに翌年5月、永遠の眠りについた。
 まだ5歳、走ったのはわずか7戦。
 父サクラショウリがなし得なかった残り二冠を仔が果たす、血のドラマをつくり出すためだけに、まるで生まれてきたかのようだった。
※年齢は旧表記 (吉沢譲治)

 SPECIAL MOVIE

S62 皐月賞
S62 菊花賞

サクラスターオー
牡馬 黒鹿毛

昭和59年5月2日生まれ
馬主(株)さくらコマース
サクラショウリ
1975 鹿毛
パーソロン
1960 鹿毛
シリネラ
1968 芦毛
サクラスマイル
1978 鹿毛
インターメゾ
1966 黒鹿毛
アンジェリカ
1970 黒鹿毛

全成績 通算 7戦4勝
  年月日 レース名 距離 着順 騎手 タイム 調教師
01 1986.10.05 東 京 3歳新馬 新馬 1600 2 小島 太 1.38.3 平井 雄二
02 1986.10.18 東 京 3歳新馬 新馬 1600 1 小島 太 1.37.3 平井 雄二
03 1987.02.21 東 京 寒梅賞 400 1800 5 小島 太 1.50.4 平井 雄二
04 1987.03.08 中 山 弥生賞 GII 2000 1 東 信二 2.02.1 平井 雄二
05 1987.04.19 中 山 皐月賞 GI 2000 1 東 信二 2.01.9 平井 雄二
06 1987.11.08 京 都 菊花賞 GI 3000 1 東 信二 3.08.0 平井 雄二
07 1987.12.27 中 山 有馬記念 GI 2500 -- 東 信二 競走中止 平井 雄二

(年齢は旧表記)





サクラスターオー号 栄光の軌跡


01 サクラローレル
02 シンザン
03 リユウフオーレル
04 タケホープ
05 コレヒデ
06 エルコンドルパサー
07 オートキツ
08 タケシバオー
09 ハイセイコー
10 サクラスターオー
11 メイズイ
12 マヤノトップガン
13 オンスロート
14 コダマ
15 メジロラモーヌ
16 トウショウボーイ
17 ハクチカラ
18 イナリワン
19 カブラヤオー
20 グランドマーチス
21 エアグルーヴ
22 ミスターシービー
23 ホマレボシ
24 ミホノブルボン
25 ウイルデイール
26 テイエムオペラオー
27 マルゼンスキー
28 セイユウ
29 ダイナガリバー
30 オンワードゼア
31 ホウヨウボーイ
32 メジロマックイーン
33 グリーングラス
34 ジャングルポケット
35 シンボリルドルフ
36 アサカオー
37 ヒカリデユール
38 セントライト
39 ビワハヤヒデ
40 タイキシャトル
41 ハクリヨウ
42 トウメイ
43 ナリタブライアン
44 タマモクロス
45 カネミノブ
46 スピードシンボリ
47 オグリキャップ
48 トウカイテイオー
49 キタノカチドキ
50 メイヂヒカリ
51 イシノヒカル
52 テンポイント
 
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