競馬を愛した人々

競馬を愛した人々 #18 宮本輝


『優駿』対談に出席した宮本輝氏(昭和59年)

 日本中央競馬会機関誌『優駿』は昭和16年5月に創刊された。『優駿』という誌名は一般公募して採用されたものだが、すでに昭和7年に「東京優駿大競走」(日本ダービー)が始まっており応募者はここから取っている。「優駿」は日本中央競馬会(当時は東京競馬倶楽部、後に日本競馬会に統合)の造語である。

 競馬ファンにはお馴染みだが一般には浸透していない「優駿」という言葉を世間に知らしめたのは宮本輝の小説『優駿』だった。

 宮本の競馬の原点は父と一緒に行った競馬場にある。予想紙の印など関係なく一瞬のひらめきで1頭を選んだ父は、8歳の宮本に相手馬を選ばせる。馬券は外れても、ふたりの選んだどちらかの馬が絡んでいることが多かった。「そんなとき、六十歳に近い父と、まだ幼い私とは、本気で互いをなじり合い、外れ馬券を空中に投げあげて、笑ったり、くやしがったりするのである」(命の器「馬を持つ夢」)。

 昭和53年、『螢川』で芥川賞を受賞した夜、「父が生きていたら、どんなに喜んでくれたことだろうと思い、風呂につかりながらひとしきり泣いた」宮本は思う。「そのとき、いつの日か、一頭のサラブレッドを主人公にした小説を書こうと思ったのだった。題はすぐに決まった。日本中央競馬会の発行する『優駿』という雑誌が頭に浮かんだのである。優駿──言葉の響きに、爽やかさと凛々しさがあって、しかもどこかに烈しいものを感じさせた」(優駿昭和57年6月号「私の優駿と東京優駿」)。

 タイトルは決まったが小説『優駿』を書くことは想像以上にむずかしかった。それを助けたのはサラブレッドクラブ会員としての体験だった。「『優駿』の第一章を書いたあと、私は、競馬の世界を甘く見すぎていたのに気づき、途方に暮れて立ち停まった。(中略)サラブレッドの血統の知識も、単に文献をなぞるだけでは、奧に入っていけないのだった。おそらく、社台の一口会員にならなかったら、私は第二章から先を書けなかったに違いない」(競馬ともだち「夢の波しぶき」)。


昭和62年★東京優駿(第54回日本ダービー) 6馬身差で圧勝したメリーナイス
 4年の歳月をかけて完成し、昭和61年に発売された『優駿』はベストセラーとなり、吉川英治文学賞を最年少で受賞する。翌62年には、この年に創設されたJRA賞馬事文化賞の最初の受賞作となった。

『優駿』は昭和63年に映画化される。小説中のダービー馬オラシオンは、昭和62年のダービー馬、栗毛の四白流星メリーナイスが、騎手・奈良五郎はJRAの根本康広騎手(現調教師)が演じた。



昭和62年★東京優駿(第54回日本ダービー) 愛息とともに記念撮影に臨んだ根本康広騎手(現調教師)
 宮本文学の柱には、長編連作『流転の海』に代表される父と子の物語がある。宮本は『優駿』についても、10歳のときに父が買ってくれた『名馬風の王』(サラブレッド三大始祖の1頭であるゴドルフィン・アラビアンの生涯を描いたマーゲライト・ヘンリーの小説)の思い出を綴り、父と子に繋がると書いている。

「私にとって、ありとあらゆる事柄は、すべて父の映像へとつながっていく。(中略)父が、どんなに自分の妻を愛していたか、どんなにひとり息子を愛していたか、いま私には判る。あるいは私は、『優駿』という競走馬の世界をあつかった小説によって、父と子を描こうとしているのかも知れないのである」(その名はサラブレッド「風の王に魅せられて」)。(文中敬称略)

宮本輝(みやもと・てる)

昭和22(1947)年3月6日、兵庫県生まれ。65歳。小説家。『泥の河』で太宰治賞、『螢川』で芥川賞、『優駿』で吉川英治文学賞、『約束の冬』で芸術選奨文部科学大臣賞、『骸骨ビルの庭』で司馬遼太郎賞受賞。主な作品に『道頓堀川』『錦繍』『青が散る』『ドナウの旅人』『花の降る午後』『彗星物語』がある。平成22年に紫綬褒章受章


JRA発行の『優駿』は昭和16年に創刊され、昨年70周年を迎えました。通巻では800号を超えており、これまでさまざまな作家・文化人の方々にご寄稿いただきました。

2012.11.24 レーシングプログラム掲載

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