競馬を愛した人々

競馬を愛した人々 #14 佐野洋


昭和46年『優駿』座談会に参会した佐野洋氏
 短編ミステリーの名手、佐野洋は『直線大外強襲』『禁じられた手綱』『牧場に消える』『跳んだ落ちた』等、競馬をテーマにした様々なタイプの作品を発表している。

 競馬場の、当時は最高額の馬券だった特券(千円券)売場で、捨てられたハズレ馬券を拾っているセクシーな美女の謎から始まる「馬券を拾う女」(単行本『直線大外強襲』収録)は、角度を変えたミステリーの佳作である。収束は直接的に競馬も馬券も関係なく、社会と競馬の関係というものにまとめられ、見事な問題提起になっている。

 競馬歴は長いのに、佐野はなかなか競馬をテーマにした作品を発表しなかった。競馬をテーマにすることには競馬ファンとしての葛藤があったようだ。その心理を『競馬ミステリー傑作選 本命』で編者の石川喬司は、「競馬推理小説を書くようになってから、レースを目で追いながら、小説のアイデアを考えている状態が多くなり、純粋に競馬が楽しめなくなった」という佐野の文を引いて解説している。

 切れ味鋭い競馬掌編を次々と発表する一方、佐野は競馬ファンとしての意見をスポーツ紙や週刊誌に数多く発表している。
「新聞社では、その日のスポーツの結果を電話ニュースに収録して流しているが、競馬会でもこの方法を採用して、電話一本でレースの成績がわかるようにしたらどうか」(サンケイスポーツ)。

 シンザンの勝つ昭和39年のダービー観戦記。27頭の馬が本馬場に入場してくる。「その直後、東京消防庁音楽隊によって演奏された軍艦マーチは必しもダービーにふさわしくない。中央競馬会は、こういうときの演奏用に、ダービー行進曲でも作ったらどうだろう」(日刊スポーツ)。

 夫人と幼い娘と競馬場に行く。初めて行ったとき、幼稚園の先生に「お馬の運動会に行った」と語っていた娘だが二度目からは退屈してしまう。夫人は馬券売場の混雑で難儀する。「幼児のための、遊戯施設、ブランコ、滑り台のようなものを設けたり、女性ファンが買い易いように、婦人専門の馬券売場を作るといったことなども、検討したらどうだろう」(日刊スポーツ)。

 これらの提案は次々に実現していった。それは時代の要請でもあった。その後も佐野は競馬ファン視線の提案を続ける姿勢を貫いた。


昭和40年★第25回桜花賞 3番人気のハツユキが鮮やかに逃げ切り、圧倒的な人気に推されたエイトクラウンは2番手集団から伸びず4着に敗れた
 昭和40年の桜花賞。佐野は紀尾井町の料亭で開かれた、毎日新聞主催の「文人碁会」に参加していた。休憩時間、桜花賞の時間が迫ってくる。馬券は銀座の場外で買ってあった。ロビーのテレビは風景番組を流している。誰も見ていないように思える。だがテレビのすぐそばに大先輩の文豪川端康成がいる。もしかしたら風景番組を見ているのかも知れない。発走時間が近づく。我慢できなくなった佐野は同じく競馬好きの作家三好徹と一緒に「失礼します」と声を掛け、チャンネルを競馬中継にした。
「丁度、馬が出走したときであった。私と三好さんは、テレビの前にあぐらをかき、レースに熱中した。大声は出さなかったと思うが『よし、そのまま』程度の声はかけたと思う」。「川端さんは、何だこの二人は、というような異人種を眺めるような目つきで、私たちを眺めていた」(ミステリーとの半世紀「冷や汗二題」)。

 佐野も三好も当時は三十代。後々「若気の至り」として冷や汗をかいている。(文中敬称略)

佐野洋(さの・よう)

昭和3(1928)年5月22日、東京都生まれ。84歳。推理作家。昭和33年に「銅婚式」が週刊朝日、宝石共催の懸賞小説に入選。昭和40年に『華麗なる醜聞』で日本推理作家協会賞、平成10年に日本ミステリー文学大賞、平成21年に菊池寛賞を受賞した。主な作品に『完全試合』『透明受胎』『轢き逃げ』『蹄の殺意』『推理日記』シリーズがある

JRA発行の『優駿』は昭和16年に創刊され、昨年70周年を迎えました。通巻では800号を超えており、これまでさまざまな作家・文化人の方々にご寄稿いただきました。

2012.10.20 レーシングプログラム掲載

ページの先頭へ戻る