競馬を愛した人々

競馬を愛した人々 #12 柴田錬三郎


東京競馬場でレースを楽しむ柴田錬三郎氏
「眠狂四郎」で名高い“柴錬”こと柴田錬三郎は名うてのギャンブラーだった。最も得意としたのはドボン(ブラックジャック)である。作家の梶山季之、阿川弘之、吉行淳之介、写真家の秋山庄太郎、俳優の芦田伸介といった連中が柴錬に斬られている。柴錬の強さはついてないときに耐える「忍耐力」と、勝負と判断したら強気にゆく「勘の鋭さ」だった。「錬さんに勝てるものはまずいない」と黒岩重吾は書いている。柴錬と言えば放蕩無頼作家の代名詞だが、「原稿の締切りや、時間を守ることに厳格であったし、人間関係に於(おい)ても律義な人であった」(黒岩重吾「小説 柴田錬三郎」)。

 スポーツニッポンの連載競馬コラム「柴錬スポーツ殺法」には、競馬評論家・赤木駿介(山口瞳と共著で『日本競馬論序説』)が「A氏」の名でたびたび登場する。

 昭和44年秋の天皇賞。人気は前年の皐月賞馬マーチス。トライアルの目黒記念を1番人気で快勝している。柴錬はA氏の予想通りにマーチスから10万円の枠連を買う。だが勘は「マーチスは5、6着ではないか」と囁いている。


昭和44年★第60回天皇賞 メジロタイヨウ
 勝ったのはメジロタイヨウ。「ダービーよりも天皇陛下のお名前がついている天皇賞を勝ちたい」と常々口にしていたメジロ牧場のオーナー北野豊吉の夢が初めて叶った瞬間だった。

 マーチスは柴錬の予感通り5着。柴錬は、馬券が外れてお金を失ったことより、自分の勘が正しかったことに満足する。自分の勘を信じ、最終レースで負けを取りもどした。

  昭和44年の有馬記念。この日が競馬初体験だった遠藤周作に買い目を問われ、柴錬は親しい評論家が教えてくれた穴目の「枠連5─7」を伝える。それもA氏の読みだった。枠連41倍を2千円の1点買いで的中した遠藤はこれをきっかけに競馬好きになる。

 昭和45年秋の天皇賞は、前年の菊花賞馬アカネテンリュウが断然人気だった。有馬記念でもスピードシンボリの2着となり力を証明している。しかし春の天皇賞は1番人気で5着。そこから4連勝でここに進軍してきた。

「柴錬スポーツ殺法」で柴錬は、「ニューヨークの競馬場で、3月8日という自分の誕生日の3─8を買い続けた日系米人の話」を紹介する。外れ続け大金を失ったが、ガンを宣告された後の最後の勝負に3─8が来る。それまでの負けを取りもどすドラマチックな結末だった。柴錬はこの秋の天皇賞も3─8になるのではないかと勘が働く。アカネテンリュウ絡みで売れている馬券は37億円。その重圧に負けるのではないかと。アカネテンリュウは3着に敗れた。勝ったのは前年に続きまたもメジロの馬、5番人気のメジロアサマ。2着にフイニイ。枠連は3─8である。だが柴錬が買っていたのは「重圧に負けるな」というアカネテンリュウの応援単勝馬券だった。


昭和45年★第62回天皇賞 メジロアサマ
 このメジロアサマの仔がメジロティターン、その仔がメジロマックイーン。天皇賞親子三代制覇の偉業はここから始まった。

 柴錬は、競馬場を「本能の奔流の場」とし、「近代人は、本能を示さなければならぬ場所では特にエチケットに心をくばるように、ひとつの慣習をつくって来た」というヨーロッパの例を引き、「競馬場こそ、最も、盛装であるべき」と記している(柴錬巷談「競馬場」)。(文中敬称略)

柴田錬三郎(しばた・れんざぶろう)

大正6(1917)年3月26日、岡山県生まれ。小説家。『イエスの裔』で直木賞を受賞。『眠狂四郎無頼控』がベストセラーとなり、剣豪作家の地位を確立した。主な時代小説に『赤い影法師』『三国志 英雄ここにあり』(吉川英治文学賞)『御家人斬九郎』、現代小説に『チャンスは三度ある』『図々しい奴』がある。昭和53(1978)年6月30日死去

JRA発行の『優駿』は昭和16年に創刊され、昨年70周年を迎えました。通巻では800号を超えており、これまでさまざまな作家・文化人の方々にご寄稿いただきました。

2012.9.29 レーシングプログラム掲載

ページの先頭へ戻る