競馬を愛した人々

競馬を愛した人々 #11 虫明亜呂無


昭和43年 第66回目黒記念 ダイパレード(14番)
 文芸、映画、スポーツと幅広いジャンルに独自の美文で活躍した評論家虫明亜呂無は、日本中央競馬会機関誌『優駿』にも、騎手論、観戦記を始め秀逸な名文を数多く残している。

 ダイパレードの勝った昭和43年の目黒記念観戦記「春は目黒」は、ダイパレードの父である虫明が惚れこんでいた輸入種牡馬ダイハードへの讃歌「あのやわらかさと、シャープさをたくみにコンパインした体つきは、いかにも、近代的で、むだなく、あかるく、すっきりとして、しかも、どこかに“春愁”とでもいいたい影をたたえている」から、チェコスロバキアの女優ヘディ・キースラ主演の映画『春の調べ』へと飛び、ウィリー・フォルスト監督の映画『未完成交響楽』、作家堀辰雄『美しい村』の軽井沢や信濃追分の風景を経て、「ダイパレードのうつくしさに、みとれるように息をひそめていたのも、すべては、ぼく自身のなにかにたいする想像のたわむれではなかったのか」と帰結する。

 昭和44年のハリウッドターフクラブ賞(現京都大賞典)観戦記は、淀の風景描写から始まる。

「見なれた平野の展望のはてに、黄金の陽の光がさしこんでいた。煙る明るさが、心をなずませた。(中略)はなやかな、果実のにおいがしていた。目の前のターフのひろがりが、ほどよい調和をたもって、視線をなごやかなものにした。やすらぎの午後であった」。

 虫明が競馬に興味を持ったのは、早稲田大学の学費を援助してくれた恩人が馬主だったからだった。「その人が、人はいかに生きるか、生き抜くかという問題を競馬で語ってくれた。競馬というのは何かわれわれに教えるところがあるだろうということが競馬をやり始めた動機」と『優駿』の座談会で語っている。競馬の魅力を問われ「人間というのは99%データを尊重しなければいけない、九分九厘までを信じて、あとの一分一厘で勝負しなければならないということに魅力を感じます」と応じた虫明を、同席していた劇作家の寺山修司は「虫明さんは、記録で競馬するというか、記録という形で現れる宿命的なものを一生懸命いじっている感じ」と評している。


昭和42年 優駿牝馬(第28回オークス) ヤマピツト
保田隆芳騎手が1番人気に応え、加賀武見騎手の
ミドリエースが2着。2番人気に推された伊藤竹
男騎手のキクノフドウは8着に敗れた
 虫明は、競馬を騎手から語る手法の先駆だった。『優駿』に残した昭和40年代の騎手論は、その美麗な文体とあいまって今もなお輝きを放つ。昭和42年のレポート「クラシック・ロードをゆく」に、騎手論に目覚める瞬間が記されている。早朝の調教を終えた騎手の控室の描写。

「伊藤竹男はシャム猫のように、部屋の一線に腰をおろして、首を腕のなかにうめて、遠くのほうに時々、するどい視線をおくっていた。加賀武見は、事故現場にゆく鉄道工夫のように、雨がっぱにレインハットで、早口でまくしたてた。保田隆芳はドーランを塗ったのかとおもわせるほど、頬を紅潮させていた」。そのとき、虫明は気づく。「私は馬が走るのではないと思った。馬は調教師がつくってゆく。(中略)馬はいわゆる駒を進めるという、駒にすぎないと思った。それから、突然、ふっと天啓のように、競馬は騎手のレースだとつぶやいた」。

 昭和54年に直木賞候補となった「シャガールの馬」は、架空の有馬記念を舞台にした競馬小説である。虫明亜呂無は本名。平成3年、肺炎のため68歳で死去。(文中敬称略)

虫明亜呂無(むしあけ・あろむ)

大正12(1923)年9月11日、東京生まれ。評論家、翻訳家。ドナルド・リチー著『映画芸術の革命』の翻訳、『三島由紀夫文学論集』の編纂、記録映画『札幌オリンピック』の脚本、小説『シャガールの馬』が直木賞候補になるなど幅広い分野で活躍した。主な作品に『スポーツへの誘惑』『ロマンチック街道』。平成3(1991)年6月15日死去

JRA発行の『優駿』は昭和16年に創刊され、昨年70周年を迎えました。通巻では800号を超えており、これまでさまざまな作家・文化人の方々にご寄稿いただきました。

2012.6.23 レーシングプログラム掲載

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