競馬を愛した人々

競馬を愛した人々 #5 富田常雄


昭和31年 アラブ系特殊ハンデキヤツプ
愛馬ベンケイと富田常雄氏
 柔道小説の傑作『姿三四郎』が発刊されたのは昭和17年。講道館四天王の一人富田常次郎の息子であり自身も五段の強豪だった富田常雄は、この一作で一躍流行作家となる。翌昭和18年には黒澤明監督によって映画化され大ヒットした。戦後も何度もテレビドラマ化されている。

 昭和24年、富田は大先輩の作家菊池寛の勧めで馬主となる。勝負服は、母校明治大学のラグビー部のユニフォームからヒントを得て緑と白の縞模様にした。最初の馬の名は、代表作『姿三四郎』から「スガタ」と名づけたらどうかという菊池の提案を受けいれた。なかなか勝てないスガタだったが、4歳(現3歳)夏の福島で2着になる。次走、今度は勝てそうだと夫人と一緒に夜行急行で福島競馬場まで駆けつける。スガタはハナ差で初勝利をあげた。富田は「その夜、又、次の夜、飲んで飯坂音頭を歌う。まことに嬉れしかつたのである」と勝利の喜びを日本中央競馬会(当時は国営競馬)機関誌『優駿』に記している。

 菊池に「スガタ」と命名するよう勧められたときは「そんなトレード・マークのような名前は」と渋った富田だったが、その後はミネノスガタ、ハナノスガタと馬名にスガタをつけている。中でもミネノスガタは昭和29年のダイヤモンドステークスを勝ち、目黒記念3着、毎日王冠3着、天皇賞5着2回と、富田の代表馬となっている。


昭和28年 東京優駿(第20回日本ダービー)
第1コーナー 
1着ボストニアン、ミネノスガタは8着
   昭和24年の優駿競走(日本ダービー)を勝ったのはタチカゼ。2着に牝馬のシラオキ。ともに人気薄である。『優駿』の観戦記を担当した富田は、6枠制連勝単式の馬券を的中したが、戦前の単複馬券に慣れていたこともあり、共に同枠の代役だったからか「なんとなく、釈然としなかつた」と感想を綴っている。

 昭和35年のダービー前には「コダマよ答えよ」と題した文を『優駿』に寄せた。コダマはあのシラオキの仔である。ここまで皐月賞を含む6戦6勝。トキノミノル(昭和26年に10戦10勝でダービーを制し、その17日後に急逝)以来の名馬と話題になっていた。富田の期待はダービーを通りこし、「トリツプル・クラウンを獲得するかどうか」と想いは秋に飛んでいる。コダマは見事に無敗でダービーを制するが菊花賞は5着に敗れて三冠はならなかった。戦後初の三冠馬は4年後のシンザンまで待たねばならない。

 名牝シラオキの血はその後も生き続ける。平成19年に昭和18年のクリフジ以来、牝馬として64年ぶりにダービーを制したウオッカの6代母になる。

 富田はニッポン放送が主催する「ダービー前夜祭」等の催事にも吉川英治、吉屋信子らと並んで出席し競馬好き文人として大いに名を馳せる。昭和36年には北海道日高で牧場も開設した。昭和42年、63歳で没する。(文中敬称略)

富田常雄(とみた・つねお)

明治37年(1904)1月2日、東京生まれ。小説家。昭和17(1942)年に発表した『姿三四郎』がベストセラー。昭和24(1949)年に『面』『刺青』で直木賞を受賞した。主な作品にNHK大型時代劇『武蔵坊弁慶』の原作となる『弁慶』や『猿飛佐助』『白虎』『雪もち笹』『鳴門太平記』『柔』がある。昭和42(1967)年10月16日死去

JRA発行の『優駿』は昭和16年に創刊され、昨年70周年を迎えました。通巻では800号を超えており、これまでさまざまな作家・文化人の方々にご寄稿いただきました。

2012.4.28 レーシングプログラム掲載

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