競馬を愛した人々

競馬を愛した人々 #4 吉川英治


昭和30年 第15回皐月賞 ケゴンと吉川英治氏
 国民的小説『宮本武蔵』で名高い吉川英治は大の競馬ファンであった。吉川の生まれたのは横浜の根岸。家の前から根岸競馬場(正式名称は横浜競馬場)の芝生が見えた。吉川は幼い頃から父と一緒に何度も競馬を観戦している。

 明治天皇は競馬を愛され横浜競馬場で開催された帝室御賞典へ度々行幸された。陛下の乗られた菊花紋のオープン馬車を横浜市民は日の丸の小旗を振ってお迎えする。その中に小学生の吉川もいた。当時の様子を吉川は「天覧競馬のレース当日などは、横浜中の祭典といってもよかった。市中はその話題で持ちきって、スペインの牛祭か何かのような騒ぎだった」(忘れ残りの記)と記している。近所に邸宅を構えていた人気騎手の神崎利木蔵に憧れ、将来は騎手になりたいと夢見たこともある。

 文人馬主の草分けは菊池ェである。吉川も親友の菊池に誘われ昭和14年に馬主になった。戦後になって活躍馬が出る。


昭和30年 第15回皐月賞 ケゴン(11番)
 昭和28年の愛馬チエリオは、牝馬ながらスプリングステークス、中山四歳ステークス(現ラジオNIKKEI賞)を勝ち、皐月賞に挑戦する。牡馬を凌ぎ1番人気に支持されるが6着。優駿牝馬(オークス)を1番人気で2着して連闘で東京優駿(日本ダービー)に挑む。この年のダービー出走馬は33頭。これは現在もダービーの最多出走頭数である。チエリオは4着だった。勝ち馬はボストニアン。チエリオは秋にクイーンステークス、東京牝馬特別(現府中牝馬ステークス)を、古馬となってから中山記念を勝っている。通算13勝。

 昭和30年、チエリオの全弟であるケゴンが皐月賞を制する。子供の頃、騎手に憧れた吉川はクラシックホースのオーナーとなった。

 チエリオ、ケゴンの母系は、半妹のオークス馬オーハヤブサを通じ、ビユーチフルドリーマー系として、その後も天皇賞馬ニッポーテイオー、エリザベス女王杯馬タレンティドガールへと続く日本の名血となっている。

 吉川は、ズボンの右ポケットにその日の馬券資金を入れ、それを「遊興費の前払い」とした。的中すると払戻金は左のポケットに入れた。左のポケットは空でもともと、すこしでもあったらプラスである。吉川の考案した馬券術だった。「だから私は、どうです馬券は、と人にきかれると、負けたことはありません、と常に答えた」(折々の記)。

 昭和37年、70歳で没。昭和42年に吉川英治国民文化振興会が主催する「吉川英治文学賞」が設置された。昭和52年には青梅市に「吉川英治記念館」が開館した。今年は没後50年に当たる。

吉川英治(よしかわ・えいじ)

明治25(1892)年8月11日、神奈川県横浜生まれ。小説家。代表作に『鳴門秘帖』『親鸞』『宮本武蔵』『三国志』『新書太閤記』『新・平家物語』(菊池寛賞、朝日文化賞受賞)『私本太平記』(毎日芸術賞受賞)がある。昭和35(1960)年文化勲章受章。昭和37(1962)年9月7日死去、従三位に叙され勲一等瑞宝章が贈られた

JRA発行の『優駿』は昭和16年に創刊され、昨年70周年を迎えました。通巻では800号を超えており、これまでさまざまな作家・文化人の方々にご寄稿いただきました。

2012.4.14 レーシングプログラム掲載

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